私とハンドメイド・その1
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オタ語りあり。閲覧注意です
どうもきよです。
適当な自分語りですが今の素材に行きついた理由をつらつらと書いていこうと思います
もともと不器用な割に物を作ることがとても好きでした。
ささやかなハンドメイドへのきっかけは食玩ブームと共にやってきました。
小さなお菓子のおまけについていた張り合わせるだけのフェルト星座マスコットとか、割と女の子のハートをくすぐるおまけがついてきた時期でした。キャラものとかはほぼなかった時代です…
それが小学生のころ。
記憶にある限りは吹奏楽部をやっていた時に自分の楽器にぶら下げていたのを覚えてるので小学4年の頃まではそれを買って集めてたようです
高学年になると定番の女子の編み物ブームが訪れました。
コミュ障でしたが周りがみんなやってるのでやりたくなりました。友達に何とか作り目と長編みを教えてもらいマフラーに挑戦(ただ繰り返し編んで真っ直ぐ長方形っていう簡単さでチョイス)
そして自分が思っている異常に不器用だと自覚したのでした。
きつく編みすぎてそそり立つように自立する壁のような物体が出来上がりました。
解いて編み直そうとしていたら母に見つかり、こんな簡単なこともできないのと言われながら目の前で再現できないような模様編みを編まれてしまい、続ける気力がなくなって初のゴミ箱への全力投球
そのあとも刺繍やらリリアン編みやらブームが訪れるたびにチャレンジを繰り返していくのですが指先の不器用さは半端なく、頭の中の理想と指先の動きがマッチしてくれなくて絵を描く以外の制作関係は本当に気が向いたら程度の頻度にまで下がりました。
絵に関しては気が付いたらそれが職業になってくれて、嫌でも手を動かしていないとならない日々を送るようになっておりました(/・ω・)/単なるオタ女子でしたのにね
そんで女特有の3大イベントに出くわすわけです。
結婚、出産、育児
自分はそれに旦那の転勤が加わって暫くの間仕事は休業。
出産直前、3か月ほど管理入院が必要になり絵すら描けない状態になります
(あの頃にCintiqCompanionが手元にあればなあ…)
とりあえず子供が無事に生まれますようにと持て余す暇を使いやれることを考えて編み物に挑戦したのがハンクラの再スタートだったような。
退院するころには息子用のカーディガンやおくるみまで編み終えておりました。
オニの様に不器用だった私の指先は10年以上描き続けていた絵のお陰で割と自分の意志通りに動いてくれるようになっておりました。反復練習ってマジ大事。
幼稚園に入るときにまず必要な袋物、バザーがあればお母様の手作りの品を、親子向けワークショップでものづくりとハンクラへ触れる機会がこれでもかとやってきて……一つの転機が。
2ちゃんねるのアスキーアートグッズブームの波がやってきました
こういうやつです。顔文字さんたち。
ギコネコとかモナーとか<<1さんと8頭身モナーとか
お子さんがいるので時間があまり取れず商業漫画の方は迷惑かけそうだからちょっと無理だけど、同人活動なら合間合間に出来そう。
かといっても漫画は商業と同じで時間取れないのでグッズ作ろうかなーと当時とてもブームになってオンリーイベントとかも開かれた2chグッズのサークルを始めたのです
(多分時効だから当時のグッズ写真載せてみます)
こういう缶とかマグカップとか業者頼みなモノが結構ありましたが、プラバングッズとか布にプリントしてポーチ作ったりと作る楽しさを満喫しておりました。
2chオンリーイベントで2ch創設者のひろゆきさんにお会いしたり、委託書店さんからプラバンの手作りストラップを4桁単位で発注されてまさかの内職状態が続いたり、サブカル雑誌や2ch専門誌とかにグッズ掲載やら読者プレゼントに使ってもらったりとあのジャンルならではの体験もあれこれさせてもらい子育てを機にオタクから卒業というセレモニーは一生こないことを悟ったのです…
子持ちでも主婦でも結構やろうと思えば何でもやれます
割と買い手さんに女性が多くてアクセサリーは作らないのですかと聞かれたことが結構あっていつか作ってみたいなあと思うようになりました。
しかしながら女子力低めの悲しい主婦オタだったのでアクセとはあまり縁のない世界を歩いていたため、自分用ならともかく人様に売るような代物は作れないと思っていたのもあり、実現することはなかったのです。
2chジャンル以降は本メインになり、息子が小学校へあがるのを機に商業の方も復帰したためまた暫くの間ハンクラから遠のいた生活をすることになりました
再びハンクラ熱が再燃するのですがそれは次の記事で。
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